kinkakuji

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2008年6月9日月曜日

Japan Nara Horyuji trip travel tour :world heritage site



Japan Nara Horyuji trip travel tour :world heritage site

聖徳宗の総本山である法隆寺Horyujiには、

金堂Kondouや五重塔gojuu-no-touをはじめ

現存する木造建築では世界最古といわれる建造物

world oldest wooden structureがいらかを並べています。


 イカルという鳥の名に由来を持つ斑鳩Ikaruga(いかるが)の地に

法隆寺Horyujiが建立されたのは607年(推古十五年)のことで、

推古天皇Suiko emperorと聖徳太子Syoutoku-taishi

用明天皇Yomei-emperorの病を治すために、

薬師像を祀る斑鳩寺(現法隆寺)の建築を進めたことが始まりとされています。

しかし用明天皇Yomei-emperorのために創建された最初の法隆寺Horyujiは、

創建から64年後の670年(天智天皇Tenchi-emperor9年)に

火災で焼失したと日本書紀Nihon-syokiに記されていおり、

現在の法隆寺Horyujiは672年から689年にかけて再建を始めたものとされています。

 そして今日、1400年の年月を経て18万7千平方メートルもの広大な敷地内には、

19棟の国宝national treasure建築物をはじめ、

建立以来人々をひきつけてきた幾つもの文化財が存在し、

文化史上重要な寺院であることから

1993年12月に世界文化遺産に指定されました。



金堂Kondou(こんどう)---国宝national treasure <飛鳥時代Asuka-jidai>


 法隆寺Horyujiのご本尊を安置している殿堂が金堂です。

四方に階段を付けた二重の基檀に立つ二層づくりであるこの金堂は、

柱上に横材が何段も井桁に組まれているもので、

飛鳥時代Asuka-jidaiの特徴的な建造物です。

また、金銅釈迦三尊像をはじめ、諸像が安置されているほか、

天井には、天人と鳳凰が飛び交う天蓋が吊るされ、

周囲の壁面には、世界的に有名な飛天図が描かれています。


世界的にも知られていた12面の壁画ですが、

昭和の大修理の最中の昭和24年(1949)1月26日朝に

火災につつまれ、あらかた焼失してしまいました。

現在は昭和42年に14名の日本画家の手によって再現された壁画が白壁を埋めています。

また、現在入母屋造りの屋根をしている金銅ですが、

昭和の大修理時に当時の学者達は、

玉虫厨子と同じと主張し

鍜葺き(しころぶき )にしようという話が有りましたが、

これに反対したのが以降「法隆寺の鬼」

と呼ばれる様になった西岡常一棟梁でした。

後に、慶長の大修理時の資料などから入母屋造りだった事が判明しました。



五重塔-gojyuu-no-tou--国宝national treasure<飛鳥時代>

 高さ約31.5m(基檀上より)で、

我が国最古の五重塔として知られ2重基檀の上に建ち、

各重の平面と屋根の大きさは逓減率が大きく、

また、5重目の柱間は初重の半分になっている為、

非常に均整のとれた、安定した美しい印象を与えています。


五重塔gojyuu-no-touは釈尊buddhaの遺骨(仏舎利Busyari

を泰安するための塔ですが、塔の原形はインドのストゥーパーで、

日本に伝わる途中、中国で楼閣の形になりました。

また、最下層内陣には、奈良時代初期に造られた塑像群があり、

地下1.5mに埋められた大理石の上部には舎利奉納孔がありますが、

本当に仏舎利Busyariがあったのかは謎であるといわれています。

同様に、

相輪に掛かっている鎌は法隆寺の七不思議の一つとして

様々な説があり謎とされています。

近年、この五重塔gojyuu-no-touの心柱の伐採が594年であることが、

年輪年代測定法により判明し、

日本書紀の記述にある天智9年(670年)の火災以降に再建されたという、

再建論に一石を投じる形となりました。

ちなみに、前年の593年は聖徳太子Syotoku-taishiが摂政の位に就いた年です。



夢殿Yumedono---国宝national treasure<奈良時代Narajidai


 聖徳太子Syotoku-taishiの遺徳を偲んで天平11年(739)に、

聖徳太子Syotoku-taishiのお住まいであった斑鳩の宮跡に、

行信僧都という高僧が建てた伽藍を上宮王院(東院伽藍)といい、

その中心となる八角円堂の建物が夢殿です。

四方に扉が設けてあり、瓦ぶきの屋根は創建当時のものです。

夢殿の名前の由来は太子が夢の中で金人(仏)に出会った

という伝説から名づけられたとも言われ、

「三宝絵詞」「日本往来極楽記」「今昔物語」に出てくる記録によると、

聖徳太子Syotoku-taishiが禅定をして夢を見るための聖所

を記念したものとされていますが、

夢殿は643年蘇我入鹿によって焼かれ、現在ある夢殿は天平時代の建立なので、

聖徳太子Syotoku-taishiの在世の推古時代にこの形であったかは不明です。

また岡倉天心が明治17年(1884)に薬師寺東塔を

凍れる音楽と評したフェノロサと共に

数百年間開けられたことの無かった法隆寺Horyuji夢殿Yumedonoの中で

聖徳太子Syotoku-taishi等身と伝えられる秘仏救世観音像をみつけたのです。

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